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vol.2

東口開設からはじまった「稲毛駅」の躍進

稲毛駅快速電車陳情書 35,000名署名捺印  昭和25年(1950年)11月 稲毛駅東口開設促進会結成 
 昭和34年(1959年)06月 国鉄による東口工事着工 
 昭和35年(1960年)10月 稲毛駅東口開設
            
 今から61年前、故林三蔵氏を会長に結成された東口開設促進会は周辺住民の反対やデマを克服し約1千万円の募金額を市に、さらに市は国鉄に納入(請負駅は地元負担)します。その後促進会結成から10余年の歳月を経て稲毛駅に東口が誕生しました。この快挙がのちの稲毛駅停車に大きな意味を持つことになります。

 以下当時の状況が林氏の手記に記されています。
― 昭和52年1月18日荒木千葉市長は議員関係者、各派幹事長を市長室へ招き、津田沼−千葉間に一カ所、快速電車停車駅について相談した。関係議員より検見川駅、幕張駅、稲毛駅の発言があった。当時、検見川駅は一日乗降客数4万人、幕張駅4万5千人、稲毛駅8万人である。
 稲毛駅に止まるのが常識的ではあるが、政治は常識では解決しない。しかし多くの議員は林三蔵議員が数年前より稲毛駅停車の促進会会長である、稲毛駅に反対するとウルサクてしようがない、との発言があり、荒木市長も笑いながら稲毛駅停車を国鉄に申出ることになった。同席の山本都市部長も一安心の顔。荒木市長は昭和52年4月10日国鉄に申請された。その後荒木市長の急死に伴い松井市長となり、松井市長へ再申請を督促し昭和52年7月21日に申請され、昭和56年10月1日に稲毛駅に快速電車が停まることが決定した。
 請負駅は地元負担で快速電車ホーム建設費予算18億円は、市が3分の2、県が3分の1負担するのが建前である。が、成田空港パイプラインの見返りとして運輸省が全額負担することとなった。これは松井市長の功績と地元の努力である。 21年前に稲毛駅東口が出来なかったら小仲台方面の発展も稲毛に快速電車も停まらなかったであろうとは古老の話である。−

昭和56年10月1日発行「稲毛駅と快速電車」より抜粋

「国電稲毛駅周辺を美しくする会」の結成

工事中の駅に掲げられたスローガンの横断幕 稲毛駅に快速電車が停まるという決定を受けて、誰ということなく駅周辺を美しくしようと地元が立ち寄り、昭和55年9月18日「国電稲毛稲毛駅周辺を美しくする会」が結成されました。市役所による自転車置場の設置と増設を重ね稲毛方面の西口と小仲台方面の東口の有志がひとつとなり放置自転車の整理と整備に取り組みました。
 町内会・自治会・婦人会・老人会・子供会・PTA会などの協力と西警察や交通安全協会の協力もあり、延べ600人の地元有志がこのクリーン作戦に奉仕されました。
 60年前ペンペン草が生えていた稲毛駅周辺は東口開設と快速停車、そして多くの人の協力により新しい街となりました。当時掲げられたスローガンは「みんなの町だ!みんなできれいに美しく!」 。
 これから先の稲毛もこの精神をひとりひとりが心がける街でありたいと思います。


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